前院長である父、渡部忍が町立板柳病院に着任したのが昭和28年8月です。
戦後の混乱した時期でしたが、一年間だけの勤務の予定でした。
しかし、板柳駅に到着した途端に、過去に診察したことが無い原因不明の重傷患者が戸板に乗せられて数人運ばれてきました。
患者は、手の施しようもなく目の前で亡くなったため、林檎畑に行ってみると異様な匂いがただよっていました。
これが、農薬「ホリドール」との戦いの始まりでした。
父は、大学の医局の教授に「患者のために板柳町に残りたい」と相談しましたが猛反対されました。
何度も交渉したところ、「農薬の研究をしながら診察を継続するのであれば板柳町に残ってもよい」と、許しを得たと聞いています。
翌年の12月には町内に医院を開業し、農薬の動物実験などを行い、研究の成果が実りホリドールの使用は禁止されました。
父が開業した当時は、国民は裕福だったとはいえない時代で、ホリドールを飲んで自死する町民もいました。
鑑みると、昨今も経済が不安定で、人口減少や超高齢化社会など今後の課題は山積みで、
めまぐるしく変化する医療業界に診療所も対応していかなければなりません。私も、日々、試行錯誤しながら毎日を過ごしています。
当院は、昔ながらの往診(自宅での看取りも)、会社の健診(日本医師会認定産業医の資格を持っています)も行っておりますので、
気軽に御相談いただければ幸いです。
私も微力ながら、津軽の住民が安心して暮らして行けるような医療を提供していきたいと思っています。